越前リョーマの決意「俺は燃える」
※文体や筆者のキャラクター性にブレがみられますが2013年1月2ndSEASON四天公演中の文章ですのでご容赦いただきたいです(2018年7月3rdSEASON全国氷帝公演中のうきより)
百錬自得の歌にりょまパート「青学の柱になるっていうことはこういうことだったのか」って歌詞が入ったことで、今までりょまにとって手塚は「冷静」の象徴だったのに対し比嘉戦で「情熱」に変わった。帰ってきた手塚に、強豪と戦い抜いて手に入れた『冷静な自分』をドヤって手塚に披露するのがs3。
でもそのあと「ハラハラさせやがって!」「越前がこんなに苦戦するとはな」と先輩らに言われちゃう。りょまの戦いはりょま個人の戦いでしかなかったって突きつけられてる。
s1で『冷静な手塚部長』が冷静(「正確な試合運び 攻守完璧」)なのは、青学を優勝させるという燃えるような情熱を秘めていて、その目標を達成するために冷静でいるように見えるからで、
そしてその情熱は幸村や真田のような強敵の『倒したい』という欲望を煽り、仲間には絶対的な安心感とやるぞっていう意欲、できるぞっていう希望をさずけるのが「青学の柱」って気が付いて、手塚の勝利を呆然として見つめてたんだね…っ(´∩∩`)って思った。
で、改めて「青学の柱」になりたいって思ったんだよね、青学を優勝に導きたいってみんなとつながりたいって思ったんだよね、はあありょま…手塚…青学…
無我の境地と手塚ゾーン
たなぴゃと無我の境地と手塚ゾーンについて話してて気が付いたんですけど、無我の境地と手塚ゾーンて対極にある技なんだよね。
無我の境地は自分を失くして他のプレイヤーを取り込む技で、手塚ゾーンは逆に己でなければできない技。だから技にも自身の名前が入って「手塚ゾーン」「樺地ゾーン」になる。
回転を操り相手のボールを引き寄せる技テニプリ界では手塚が初めてやったからを「手塚ゾーン」って呼ばれるだけ。
手塚ゾーンをできるようになるということは膨大な世界の中からたくさんの人と出会い、あの人は自分と違う、あの人も自分と違う、あの人も…を繰り返して、消去法で自分を見つめること。
「自分とは違う他者との出会い」の段階が無我の境地なんだよね。
そして、それを何度も何度も何度も何度も繰り返し、自分の輪郭を自覚することが「手塚ゾーン」、そしてその先にあるものが「百錬自得の極み」
で、なぜ樺地が「樺地ゾーン」と「百錬自得の極み」をできるのかというとむつみさんが話してくれてたこれ。
わたし樺地が無我の境地すっ飛ばして百錬自得できるのなんでやろなと思ってたけどそれまでさまざまな技をコピーしてきたのがニアリーイコール無我の境地で百錬自得できるんだな…ほんとによくできてる…
— むつみ (@mutumi420) 2018年7月17日
で、なぜ樺地が「樺地ゾーン」と「百錬自得の極み」をできるのかというとむつみさんが話してくれてたこれ。樺地は自分という空虚を見つめるのではなく、他者のプレイを理解し表現し続けてきた(=無我の境地と同じ作用)から「樺地ゾーン」が出来て… https://t.co/VTAgo6ZJrO]
樺地は自分という空虚を見つめるのではなく、他者のプレイを理解し表現し続けてきた(=無我の境地と同じ作用)から「樺地ゾーン」が出来て「百錬自得の極み」が出来る
樺地が「百練自得の極み」を会得するまで時間がかかるのはそれこそ百錬を積んでいる最中だからで、ただそれは「天候晴れ」の「コンデションの良いコート」の「水を含まないボール」の練習しか積むことはできず、雨の日でもコートがぬかるんでても水を吸ったボールが重くても練習を続けてきた手塚に勝つことができないんだよなあ……。手塚は百練自得に至るまで、百どころか千も万も練習をしているという表現……。
おまけ
でもさ!?? そのあとさ!??「コートの状態水を含んだボール そして濡れて滑るグリップ」のことをさ、「コンディションばっちしなのによ!」って言って出てくる宍戸さんかっこよすぎませんか!?? 百錬を積んでるのはお前ら青学だけじゃないってことだよね?!! 宍戸さん…(;;)(;;)
— うき (@uki0528) 2018年7月17日
ねえ、跡部の交差点って知ってる?
「跡部の交差点って知ってる?」
経過の青学、結果の氷帝
舞台上にある「青学、卒業。氷帝、君臨。」はわたしが勝手に思ってる青学は経過で氷帝は結果だって話なんですけど。
青学はどう勝つか/負けるかをすごく丁寧に描く。それが『テニスの王子様』だからね? って言われればそうなんですけど、こう勝った/負けた、だから次の奴が頑張れる。
経過を知ってるから次に繋がる。次の仲間に繋げるテニス。(ただ関東氷帝の時点で不二先輩は誰かから繋げてもらえはするけど誰かに繋げられていない…と思う。これはまた別の話)青学のテニス。All for tennisだね。誰かのミスは誰かがフォローお前の涙を拭う俺のタオルだよね。
氷帝は、結果を持ち帰ることが最も重要である。負ければレギュラーから脱落という懲戒が待ち受けている。これは政治的身体の死だ。勝利をチームに持ち帰ることこそが目的であり、(わたしのマリーアントワネット思考でなければ)勝利を跡部に捧げるのが目的。
ただ、結果を持ち帰ればチームは大きく勝利に前進する。しかし、氷帝メンバーのそれぞれの試合は、結果が伴わなかった場合にはチームに貢献することはできない。
そんな物語を背負った青学キャスト、氷帝キャスト。
そしてテニミュキャストとして「卒業」を背負った青学8代目。「君臨」を背負った氷帝。
「卒業」する青学8代目が観せるのは、今までやってきたことの集大成。不動峰、聖ルドルフ、山吹と公演を重ねてきた「経過」を所々で観客は思い出しながら彼らの背中を見送る。
対して初登場となった3rd氷帝が観せなければならないのは、「君臨」する姿。200を超える公演を重ねてきた青学8代目に対する大きな壁として立ちはだからなければならないという責務。ベテラン相手にこのパワーバランスを作り上げなければならない、出来たばかりのチームを観客は見定める。
「テニスの王子様」の物語。
「テニミュ」の物語。
それが見事に重ね合わさり、互いが作用し化学反応が起きた。「ミュージカル『テニスの王子様』3rd SEASON青学vs氷帝」公演はまったく見事だと感じる。
2016.9.23
人ならざる者
全国の跡部には、そっちへいかないで、だめだよ、跡部、跡部…って泣いて縋り付きたく思う瞬間があって。でもそれがなんなのか自分でもわからなくて…それがなんでなのかが疑問だったんですけど、テニミュ3rd氷帝公演中にすっきりしましたので、メモ。
「そっち」っていうのは、「人ならざる者」に跡部がなってしまう気がしてた、ということなんです。
わたし的に「人ならざる者」と言うのは幸村くんを筆頭に(考えが甘く印象で語りますので異論があると思うのは承知です)リョーマくん、平等院さん、鬼先輩なんかが思い当たるんですけど。手塚をどっちにおくか微妙なライン…まあ人間離れした強さやプレイスタイルとかを示すんです。
跡部が、氷の世界を披露した時に宍戸さんが言う「跡部 不可能を可能にしやがった」という台詞。これを聞いた時にすごくどきっとして。人が踏み込めない境地に跡部は行ってしまったの? って思って。
「死角を突かれてはどんな動きのいい選手でも反応できない」と手塚が言うんだけど、それはどんな選手でも跡部の相手にはならないってことで、跡部は本当に本当に、世界の頂点にひとりぼっちになってしまうんじゃないかって思って。(頂点であるということ - bouyant http://uki0528.hatenablog.com/entry/2016/07/23/000000)
「氷の世界」が完成した時には、跡部はもう転ばなくなってしまう。転ばなければ立ち上がらない。立ち上がらなければ、進化はできない。跡部が、跡部ではなくなってしまうと思った。
氷山の頂上に氷付けとなって、一生そこから出てこないんだろうと思った。でも、リョーマくんがそこから連れ出してくれた。手塚ゾーンで氷の世界を打ち崩したことによって、「氷の帝王が熱くなっている」=氷の世界から、灼熱のテニスコートに跡部を連れ出して来てくれた。
それが全国大会か…! と、今日理解した。関東大会からの全国大会めっちゃ面白いな。氷帝戦面白いなあ!
手塚の覚悟、跡部の責任
個人的に「ミュージカル『テニスの王子様』青学VS氷帝」に置いてS1を読む鍵となるのは校内ランキング戦後に手塚によって歌われる「油断せずに行こう」というナンバーだと思っている。
1stSでは「油断せずに行こう」無印が
・校内ランキング戦後
・「それぞれの思い」に続けて
・「一騎打ち」
と三度歌われる。
2ndSでは校内ランキング戦の後に歌われる「油断せずに行こう」が「油断せずに行こう2011」として同様のタイトルながらメロディや歌詞を一新し、これから始まる手塚VS跡部戦を示唆するような内容になっている。
「油断せずに行こう2011」の特徴としては、
・なぜ油断してはいけないのか
・油断をするとどうなるか
・S1の試合内容を強く示唆
これら3点が主に上げられる。
これと「油断せずに行こう2016」を比較すると、
「油断せずに行こう2016」の特徴としては、
・油断しないとはどういうことか(消極的方法論ではなく積極的方法論に)
・Aメロにて乾VS桃城を強く示唆(手塚VS乾も少し)
・一方S1を暗示するワードが半減(Bメロに散見されるのみ)
ここで二つの「油断せずに行こう2xxx」を比較すると、浮き上がるフレーズが出てくる。
それが「少しの迷いが敗北への扉へつながる」というフレーズだ。
手塚は何を迷う可能性があったのか?
対して跡部は何を迷ってしまったのか?
この二点に着目して3rdS青学VS氷帝S1を読む。
まず、敗北という概念についてだが、これは個人の勝ち星ではなく、「この試合に負ければもうこの大会では戦えない」とM1「All for tennis(仮)」で青学レギュラー陣が歌い上げること、そして大石が怪我をしたときも「俺を引退させるなよ」と団体戦敗退阻止を指していることから、団体戦の勝敗を指すものであるとする。
手塚が跡部戦において選択を迫られることといえば、言わずもがな「自分の腕」と「青学の勝利」を跡部に天秤に掛けられた時である。
跡部は名実ともに手塚の失墜を狙い、ゲームメイクをする。
「30分もあれば誰にだって勝てる」と自称する跡部が得意技の破滅への輪舞曲を封印してまで持久戦へ持ち込んだ真意は、手塚の肩を壊すことにはない。
仲間から信頼され、何よりもチームの勝利を願ってやまない手塚が自分のテニス人生のために青学を捨てる姿をメンバーに見せることで、闘争心を冷やし、青学というチームを敗北へ導こうとしているのだ。
氷帝はこの手塚戦を制したとしても、現時点では1勝2敗1ノーゲーム、つまり勝ち星としては団体戦の勝利条件を満たさない。次の補欠戦が団体戦の勝敗を分けることを十分理解していたと考えられる。
これはつまり跡部は一人で2勝してくるつもりだということ。自分が手塚に勝つことは勿論として、日吉がリョーマに勝てるように、青学というチームの「熱い心も闘争心も氷で冷やす」つもりだった。氷帝が勝つ道はそれしかなかったが、跡部はなんでもないことのように、平然とやってのけようとしてる。
跡部は氷帝の勝利のために、青学の柱である手塚を跪かせ、チームの闘争心そのものを凍てつかせようとしたのである。
しかし手塚は、その選択を迫られても少しも迷わない。
テニスが大好きなくせに、テニスが全てなくせに、全てをテニスに捧げているくせに、手塚にとっては、今の自分にとって青学の勝利こそが「自分のテニスのすべて」であると覚悟を決め、ラリーを続けるのだ。
一方跡部にとっては、それは大きく計算外であった。
まさか自分のテニス生命と、プロ入りさえ考えられる程の実力を持っている手塚にとってはただの通過点であると思われる中学校の関東大会団体戦の一試合を天秤に掛けても、砂粒ほども迷わないことが。
ここで歌い上げられるのが「一騎打ち」である。「油断せずに行こう」無印と、1stS氷帝校歌に当たる「氷のエンペラー」の二重唱だ。
手塚は一貫して「油断せずに行こう」と歌い上げる。対して跡部は自分を鼓舞するかのような、勝利と引き換えに手塚のテニス生命を奪うことを迷っている自分に、当初の目的を思い出させ、言い聞かせるような「氷のエンペラー」を。
熱の籠った二重唱を歌い上げた後、跡部は序盤で封印していた破滅への輪舞曲を打とうとする。この戦法は跡部が迷っていると決定付ける描写だ。「焦って攻めてこいよ手塚」と挑発した跡部が、勝ちを急き先程打たなかったスマッシュを叩きつける。焦って攻め急いだのは皮肉にも跡部自身となったのだ。
しかしそれも手塚の執念によって阻まれる。グリップに当たるはずだった二段スマッシュの一段目は手塚のラケットの面へ、打ち返されたボールをがら空きの右サイドへ打ち込むも、手塚ゾーンによって手塚のもとへ…。
試合時間は伸びて行く。手塚の腕はとっくに限界を超えている、あと一球だ…と大和部長との過去描写が入り、ついにその瞬間が訪れる。
その瞬間、三浦宏規演じる跡部景吾は、2、3歩手塚の方へと歩み寄るのだ。
この表現のなんと見事なことかと思う。絶対的頂点である跡部の迷い、揺らぎ、絶望…そしてもう一度立ち上がるその姿まで、我々に提示させるスポットライトが当たらない中での些細な動作であると言える。
跡部はその後、チームメイトに囁かれる。
「さすが跡部じゃん、狙ってたんだろあれを」
「土壇場で大逆転やな」
「でも跡部の奴、ちっとも嬉しそうじゃねえ」
氷帝メンバーは跡部の真意を理解しない。それもそのはずである。氷帝の頂点はただ一人、誰も手の届かないところに在るのだから。
跡部の孤独は跡部が自ら選んだものだ。氷帝メンバーが悪いわけでは決してない。ただ、氷帝の頂点はひとつしかない、それだけなのだ。
跡部は200人の頂点に立つ代わりに孤独となった。皆が跡部に跪き、跡部を崇め、跡部を奉る代わりに跡部の考えを理解し、諫め、共に歩んでくれる仲間はいない。これが跡部の選んだ道だ。だから跡部はベンチで一言も発さない。氷帝メンバーも跡部に声はかけられない。
跡部はたった一人で、200人を背負ってもう一度コートへ向かうのだった。
この時点で跡部には大きな責任が生じる。この試合に勝たなければならないという責任だ。
手塚が肩を抑えた瞬間跡部は手塚のもとへ駆け寄ろうとしたが、それは決して許されない。
跡部が手塚の肩を壊したのは、自分のエゴであるのだから。
ここで跡部が手塚に謝罪するのは容易いことだ。手を抜いて手塚に勝利させるのも同様である。ただ、そうあっては手塚は一体何のために怪我をしたというのか。
跡部にはこの試合、勝利する責任が生じたのだ。
ただそれが険しい道であることは言うまでもない。強敵手塚の、怪我してもなお尚冴えるリターン、アプローチ、ドロップショット。しかし肩が上がらずサーブの威力が落ちた手塚に跡部は言う。
「なんだ手塚、このサーブは!」
跡部はここで腹をくくったのだろうと感じた。ここからの跡部は、有名な長台詞に置ける、微塵も「油断」をしない、「最高の力を込め」た、純粋なラリーを始めるのだった。
跡部は「最高の力を一球一球に込めよう このタイブレークがどれ程続いたとしても!!」と独白を締めくくるが、それはまさに「油断せずに行こう2016」の体現なのであった。
跡部はベンチを振り返らない。たった一人で、手塚に挑み、タイブレークカウント36-35、跡部リードのラリー中手塚のラケットヘッドが3.2ミリ下がる。
これ気が付いてるんだよね、跡部は。3.2ミリを測った乾、跡部、零式ドロップを受けたことがあるリョーマが1ページに描かれているのだから。
跡部は打球が戻ってしまうことを予期しながらも、ボールを拾いに飛び込んでいく。
結果として零式ドロップは回転数が足りずにバウンドし、手塚コートへ返るもその後のバックハンドがネットにかかり、ゲームセットとなるのであった。
200人の部員を率いて居ながら、一人きりで責任を果たした跡部。
才能に満ち溢れながらも自分の人生を賭してまで覚悟を決めて戦い抜いた手塚。
二人の試合を伝説と呼ぶには、この夏が続く限り早すぎる。
この重厚且つ鬼気迫る揺らぎの試合を演じ切る財木くんが、三浦くんが、各校メンバーがなんと見事なことかと思うのです。
演出の構成も本当に見事!
「氷のエンペラー」を、跡部が跡部に歌うなんてかっこよすぎる!
新発見としては、
・迷わない手塚と迷いながら成長する跡部
・「一騎打ち」における「氷のエンペラー」歌詞部分は跡部が跡部自身に歌っている(氷のエンペラー=氷帝学園を示している訳ではないのでは?)
・手塚には覚悟があった、跡部は責任を果たした、それぞれの戦いっぷりがとにかく見事
ということなんですけど、なんかもう最高すぎて最高しか言えないんです!
2ndSの関氷は、手塚と違って跡部がどうしようもなく一人だってことを憂いて、苦しんで、悲しんで、しくしくめそめそ泣いていたんだけど、そこから一歩踏み出させてくれた3rdS関東氷帝公演に感謝します。
跡部が紛れもなく自分自身で選んで作り上げてきた氷帝の体制を勝手に可哀想なものにするな!! って2ndSの自分をぐーで100回殴りたい。
この夏が本当に最高なんですよ!!
テニミュは進化しちゃうから「油断せずに行こう2016」はこの夏しか聞けない!!
どうかどうか劇場まで足をお運びください、跡部大好きメス猫からのお願いです。
氷帝公演、括目せよ!!
わたしが観たテニミュ3rdS氷帝戦2016年7月23日夜公演の話
わたしが観た「ミュージカル『テニスの王子様』3rdSEASON青学vs氷帝」2016年7月23日夜公演の話をします。
本当のところかどうかはわかりません。わたしにはこう見えたという体で、またおたくの妄言だとハードルを下げに下げていただけたら幸いです。
今日、三浦くんが台詞飛んだよね? 跡部の、一番の長台詞。
という話の前に、まずその前の一騎打ちの出来。今日の一騎打ち本当に最高で、手塚跡部甲乙つけ難い声量、気迫、熱気の籠った歌声。その後三浦くんが乗ってきて、今日ラ行ナ行の滑舌がいまいちかな、ベンチワークも姿勢変更が多いし、疲れてるかなと思ってたんだけど、心が震えた。そして三浦くんは一騎打ちのあと台詞も湧き出るようになって、叫んで、走って、ボールを捉えて。本当に最高だった。
でも「俺は、俺は思い違いをしていた」からの長台詞。
最初は息が切れてるのかなと思ったんだけど間が空きすぎる。これじゃ次のラリーまでに台詞が終わらない。台詞飛んでる! って思った瞬間に息ができなくなって、テニミュの世界が壊れるって思った。背筋が凍った。
こんな跡部が時間を流しているシーンで三浦くんが詰まったら、試合が止まり、物語が破綻し、決着がつかない。
三浦くんは焦燥感を煽るような音楽の上に、たっぷり間を取って思い出しながら、ひとつずつ台詞を重ねて、絞り出すようにいつもと違うタイミングで跡部の思いを紡いだ。
ぽつぽつ台詞が出てきた後はなるべく間を抑えて、でも慌てずに、焦らずに、ひとつずつ。
到底間に合わないと思っていた次の跡部のサーブ、三浦くんはトスを上げながら「だから俺も最高の力を一球一球に込めよう たとえこのタイブレークがどれ程続いたとしても!!」と言い切った。もうラリーは始まっていた。
あの極限の状態を乗り切った三浦くんに、心から敬意を表したいと思います。練習不足だとか、そもそもそんな事態を招くべきではないとか、そういう考えもあって然るべきだと思いますが、あの状態をひとりで乗り切った三浦くんは、確かに強く、美しく、頂点にたったひとりで君臨する跡部景吾だった。
わたしは
頂点であるということ - bouyant http://uki0528.hatenablog.com/entry/2016/07/23/000000
という記事で、跡部が一人であるということを説いた。
ただ、跡部はひとりだけど、テニミュの舞台上にいる限り三浦くんがいるからひとりじゃないなあとも思うんです。三浦くんが跡部をほんとのほんとのひとりにはしないでいてくれると思うんです。
2ndの関東氷帝公演、わたしはつねくんが如何に跡部を降ろしてふたりでひとりになれるかを追いかけていたんだけど、3rdの関東氷帝公演は三浦くんが如何に跡部をひとりにしないかを観ていくのかもしれないなあ。
2016.7.24