ねえ、跡部の交差点って知ってる?
「跡部の交差点って知ってる?」
私の心の、一番やわらかくて大事なところにおいてあるひとの名前を言って、親友は私の顔を覗き込んだのだった。
時は遡って約……8年も前のことになるのだろう。高校2年生の夏だったか、秋だったか。遠い過去のことのように記憶は朧げだが、不思議なことに昨日のことのようでもある。
アトベノコウサテン
たしか、はっ? と間抜けな声を出して私は聞き返したのだと思う。彼女は続けた。
「うちのおばあちゃんの家が佐久にあるんだけどね、近くに“跡部”っていう信号があるんだよ!」
なるほど……と、やっと合点がいった。
“跡部”という地域が長野県にあるのは私も知っていた。伊達に古いおたくをやっていないので、跡部景吾という4つの漢字の成り立ちをそれぞれ辞典で調べたり、テニプリの影響で入ったテニス部の部室へ入るときにいちいちときめいたり、情報の授業中にテニプリサーチをこそこそ閲覧したり、ひとつ上の学年に跡部という名前の先輩がいると聞いてクラスまで覗きに行ったりは勿論している。
ただ、それは「あるんだな」と認識をしたのみで、どうこうしようと考えたりはしなかった。しかしその時改めて彼女の口から聞いたことによって、その場所がぐっと身近なものに感じられた。
だが、同県といっても“跡部”までは高速を使っても数時間(縦長の県あるある)、新幹線を使うのが一番早いが、本誌・単行本・テニミュ・テニフェス・遠征費・各DVD・グッズに備えてアルバイトをしている高校生には少々荷が重かった。
いつか、いけたらいいなあ。
と、いうか、跡部っていう苗字にずっとなりたかったけど(NOT夢乙女)それは相手の問題もあるし難しいと常々思っていたところにこれは都合のいい話では? 私、大きくなったら佐久に引っ越して“跡部”っていう住所になっちゃえば全ての書類に跡部って書けるし身分証にも跡部って載るし田舎ならではの「〇〇(地名)の△△さん」って呼ばれ方をされた日には「跡部のうきさん」ってなるんじゃない? なにそれ? サイコー?
17歳の私の如何に呑気であることか。
そんなことを考えていたのを、25歳の今も覚えている。
17歳の自分よ。
25歳の私が、君の思い任されたぞ。
行ってみました、「“跡部”の交差点」。
移住は仕事の関係もあるので再び考えるとして(とかいって、“跡部”に住むメリットを今書き出していたらマジでガチで住めないかなって思い始めてるところなんですけれども)、大人になった君は、車で数時間だろうが高速かっ飛ばして“跡部”まで遊びに行けるようになってるんだよ! ハッハッハ!! 羨ましかろう!!
こんな感じでした!
すっごく何にもない!!
跡部王国?! 跡部王国とは?! 見渡す限り田んぼ、田んぼ、田んぼ! 跡部王国とは農業大国だったのか?! 美技米が名産か?! 5年に一回くらい品種改良された新種ができて「ブギウギ米」「酔いしれろ米」「俺様のアイア米」とか発売になるのか?! さぞかし美味しい日本酒になるんでしょうねェ!
そういう古いおたくのノリいいですね。はい。
跡部の交差点がこちら!
念願の、跡部の信号です。
メス猫も元気です。
(余談。この日は富士急に遊びに行ってた時のテニミュ3rd跡部役三浦宏規くんみたいな格好がしたかったのですが、白Tシャツが見つからず、ドリライのために作ったアンコールTシャツを着ているという始末。お見苦しくて申し訳ありません。)
その他にも
跡部北
跡部南
跡部のバス停
跡部のバス停に至っては一日2本の運行のみ。その潔さ、よし!
そして、今日“跡部”に来たからには言っておきたい場所がもう一つありました。
それが西方寺というお寺です。
そしてなんと、この念仏を踊りながら唱えてるうちに、「無我の境地」に入るんだとか!
その西方寺がこちら!
門。
片方のメス猫に逃げられるメス猫と残ったメス猫に非常に警戒されるメス猫。
にゃんこがおりました。おばあちゃん猫でした。私もこのぐらいになっても跡部様をお慕い申し上げたいものです。
そして帰ろうと踵を返した時に…
行ってみたいな。
“跡部”の地区は、田んぼが多く非常に穏やかな住宅街が大半を占めていました。
自分の住所を“跡部”に変える……そんな現実味がない、他の人から見たらバカだなあと思うことを、自分の人生の中で一度はやってみたいと強く思いました。
8年越しに、「跡部の交差点」へ行ってみた話でした。
跡部様、お誕生日おめでとうございます!!