bouyant

テニスの王子様のことが大好きです。

無我の境地と手塚ゾーン

たなぴゃと無我の境地と手塚ゾーンについて話してて気が付いたんですけど、無我の境地と手塚ゾーンて対極にある技なんだよね。

無我の境地は自分を失くして他のプレイヤーを取り込む技で、手塚ゾーンは逆に己でなければできない技。だから技にも自身の名前が入って「手塚ゾーン」「樺地ゾーン」になる。

回転を操り相手のボールを引き寄せる技テニプリ界では手塚が初めてやったからを「手塚ゾーン」って呼ばれるだけ。

手塚ゾーンをできるようになるということは膨大な世界の中からたくさんの人と出会い、あの人は自分と違う、あの人も自分と違う、あの人も…を繰り返して、消去法で自分を見つめること。

「自分とは違う他者との出会い」の段階が無我の境地なんだよね。

そして、それを何度も何度も何度も何度も繰り返し、自分の輪郭を自覚することが「手塚ゾーン」、そしてその先にあるものが「百錬自得の極み

 

で、なぜ樺地が「樺地ゾーン」と「百錬自得の極み」をできるのかというとむつみさんが話してくれてたこれ。

で、なぜ樺地が「樺地ゾーン」と「百錬自得の極み」をできるのかというとむつみさんが話してくれてたこれ。樺地は自分という空虚を見つめるのではなく、他者のプレイを理解し表現し続けてきた(=無我の境地と同じ作用)から「樺地ゾーン」が出来て… https://t.co/VTAgo6ZJrO]

樺地は自分という空虚を見つめるのではなく、他者のプレイを理解し表現し続けてきた(=無我の境地と同じ作用)から「樺地ゾーン」が出来て「百錬自得の極み」が出来る

 

樺地が「百練自得の極み」を会得するまで時間がかかるのはそれこそ百錬を積んでいる最中だからで、ただそれは「天候晴れ」の「コンデションの良いコート」の「水を含まないボール」の練習しか積むことはできず、雨の日でもコートがぬかるんでても水を吸ったボールが重くても練習を続けてきた手塚に勝つことができないんだよなあ……。手塚は百練自得に至るまで、百どころか千も万も練習をしているという表現……。

 

おまけ